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この件に対して、ひとつ思うことを書いてみようと思うのですが。
ちなみに、僕はこういったことに対してはまったくの門外漢ですのでー。
素人意見程度、と受け取っていただければ幸いかと。
まず、そんな素人オトコの「初めてのチャレンジ」というものについての世界観がこちら。
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初めてのことなので正しいのか正しくないのかは誰にもわからない
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そもそも歴史は後から評価されるものだし、初めてのことは大抵反対意見がでる
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勇気を出して切り拓く人がいないと、後に続くひともいない
みたいなところが、僕の基本的な姿勢にあります。
なので、どちらかというと初めてのチャレンジ賞賛派ですね。
といいつつ、世界を見ると「初めての取り組み」でもないようですが。(秋元さんのブログが詳しいです)
シアトル公共図書館が、中央図書館の3階で、本を使ったドミノ倒しの世界記録に挑戦。
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そして、ここからが僕の意見です。
皆さんの意見を読ませていただくと、特に反対意見の中に「本でドミノをするのは如何なものか」とか「本を粗末にしている」とか「子どもの教育よくないぞ」とか。
どうも表面的なラベリング、つまり、物質的な物への価値観や社会一般の常識で評価をしている人が多いように見えます。
僕が考えるもっとも重要な判断基準は、この1点と思っています。
ポジティブな感情に突き動かされたのか、ネガティブな感情に突き動かされたのか。
つまり、
この企画をした人の気持ちの中に、岐阜市民や本に対しての愛があったか?
ここ一点じゃないかと思うんです。
愛だろ愛wってことで。
そこに愛を感じられるのであれば、細かいことを気にして目くじら立てずに、温かい目で見守ってあげればいいんじゃないかなーと。
そんなことを、理想主義でお気楽なボクは思いました。
ちなみに、僕にはこの企画をした人たちの気持ちの中に愛があったか、はたまたよこしまな気持ちで企画したかはわからないので、賛成とも反対とも言いかねるのでした。
コメントをお書きください
“ジュエル”くん (金曜日, 29 5月 2015 15:16)
初めて記事を見た時は
「オモロイやん。イロイロ考える人がいるんだなぁ・・・」
程度でした。
ただ、反対意見を見ると、どれも「ごもっとも」でした。
これは、日本の文化の話だと思うんですよ。
「神は全ての物に、宿っている」「モノに敬意を持ち大切に扱う」
そして「本が自分に与えてくれた恩恵に感謝をするならば、遊び道具としてそれを傷つける行為には使えない」という内容だと思います。
反面、大量生産・大量消費の現代で、一部の大切な本と多くの不要な本とに分けられる現実があり
捨ててしまう本で、用途以外の遊びに使う事が、それほど罰当たりな事なのか?
私には分かりません。
そこで、最近読み返してるマンガ『エースをねらえ!』の一つのセリフを引用します。
「このボールは、それだけでは『ただのモノ』にすぎない。
しかし、一たびプレーヤーが打つと、そのボールに魂が宿る」
個人的には、それくらいで良いと思っています。
本は、ただのモノにすぎません。
ただし、読み手が本を開いた瞬間から、ただのモノでは無くなる
そこから、本と読み手の『文字のキャッチボール』の積み重ねで
本と読み手との関係が出来上がっていく。
本は、本棚でほこりをかぶってるだけでは、モノでしかなく
また読む気が無いのなら、売って誰かに読まれるチャンスを与えられた方が良いし
どちらの可能性も無い本たちを、別の形で出番を作ってあげるのも
悪くないように思っています。
あくまでも、個人の価値観に基く意見ですが・・・。
では、また。(^0^)/~~ バイバイ
ポエジー*ミズノ (土曜日, 30 5月 2015 15:13)
>ジュエルさん
いつもコメントありがとうございます!
なかなか難しい話ですよね。
ご意見参考になりました!
名無し君 (日曜日, 31 5月 2015 11:50)
本を倒す・・・ネガティブ
本と本が繋がる・・・ポジテイブ
みんなから寄せられた思い出の詰まった本が、
一つのチェーンとして繋がる♡
素晴らしい!