人はみな誰かの役に立ちたいのだ。
人はひとりでは生きられません。ひとりで生きているように見えても、必ず他人との関係の中で生きていて、誰かとつながることで自分を実感できる。そして、誰かの役に立った時に、充実感を感じる。
「自己肯定感」とかって言うんでしょうか、自分は誰かの役に立っているんだって思うことで、自分は存在していていいんだーって感じることができるんだと思います。
ここまでは、おそらく問題ないでしょう。もし「いやそんなことはないぞ」という方がいたら、話が長くなってしまうので、ここで離脱していただくとして・・。
ただ役に立つだけじゃダメ。
ここからは、僕個人の話になるのですが、仕事で成果が出て褒められても嬉しくない。そんな経験をしたことがあります。自分でもひねくれてるなーっ思うのですが、そう思えないのだから仕方がない。頭じゃなくて心の方は正直です。
なんでだろうって考えていくと、ふたつのことに思い当たります。ひとつは、自分の能力がフルに使われている実感があること。ふたつめは、自分の心が動くことを、自分の心が動く人にする。こんな状態でした仕事で褒められたなら、僕は充実感でいっぱいになるんだろうなーと思うんです。
そんなことを人に伝えたら、こんな意見が返ってきました。
> I don't agree wthi you. 極端なことを言えば、隣にいるだけで喜んでくれる場合だってある
まあ、なるほどとは思うのですが、うーん。どうも、そこにいるだけで誰かの為になっているって(それってすごく素晴らしいことと思いつつ)、居心地悪いだろうなーって思ってしまいます。
ということで、今回の結論。この3つがそろうと「やりがい」になるのかも。
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誰かの役に立ちたい
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能力は使われたがっている
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自分の心が向く方向や人
自分の能力をフルに使って、自分の心が向かう誰かの役に立って、本当の充実感を得る。そんなことが、自分の自信を育ててくれるのだと思います。
自己肯定感についての、糸井重里さんのこの一文が好きです。
> 自己肯定感って、「わがまま」のことじゃないよ。昼寝している犬の寝顔みたいなものだと思うんだ。
自己肯定感は、求めると人に迷惑をかけてしまうものじゃなくて、犬の寝顔みたいに、当たり前にそこにあるもの。だとしたら、自然に充実感を得られるような、自分の能力を最大限使い、自分が心からしていって思える仕事をしていないなと、思う次第です。
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