先日嫁さんと話していて、僕が無意識に話した言葉に対してこんなひとこと。
「なにそれww
歌の歌詞かなにかみたいw」
そして、僕は密かにグッとガッツポーズ。(心のなかで)
僕は常々、「うたっているように話したい」なんてことを思っていました。
歌にちゃんと触れたのは、高校生くらいだから、だいたいの人よりは遅れてて、多感な時期に音楽に触れていないなんて劣等感があったりしました。その反動で音楽が好きになり、高校〜20代前半くらいまで、ちょうど2000年前後の音楽シーンが熱い時期には、学校をサボって名古屋のCD屋をめぐり、聴き漁っていました。
洋楽(特にUKロック)に傾倒したりしていましたが、とりわけ日本語の歌詞については、常に興味がありました。歌詞の持つ力といいますか。メロディーに歌詞が乗ることにより、数倍にもなるそのエモーション。自分がこのアーティストが好きだっていう判断も、歌詞が基準であることが多いです。どれだけ歌や演奏が良くても、歌詞が響いてこなければ、好きになることはありません。
「言葉が持つ力」についての原体験は、ロックにおける日本語歌詞であることは間違いないかと思います。そんなこんなで、詩や言葉に対する興味が深まり、今に至るわけですが(かなりすっ飛ばしました)、ある時から、日常の中で自分が発する言葉が詩みたいだったいいなーなんて思うようになったのです。
このポエジーの哲学のページに、僕の詩に対する理解が載っています。
> 詩というのは言葉で表されます。
> その表面は薄く透きとおってしまうほどで、あたたかい生身を表現します。
> もろくて、だから、それに触れさせない人もいます。
> そんな内面を映しだすものだからこそ、詩を表現するのはすばらしいこと。
> 詩は軽快なリズムを持ちます。
> 弾性で、ウキウキさせる。
> どこにでもある言葉、当たり前の言葉すぎて、届かないこともあるけれど。
> その人の、心のある場所・経験・感情がそろわないと届かない。
> 詩を、ありのままで表現しているのは、とても美しいこと。
そんな言葉を、常に発していたいのですが。
ちなみに、嫁さんがツッコミを入れた台詞とはこんな言葉。
「それを友達と言わなかったら、なにを友達と呼ぶの?」